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〈追録〉の目的 私が本年11月11日、全労連主催「憲法問題講師養成講座」で報告した後、同年11月17日、自民党憲法調査会は、「憲法改正草案大綱(「たたき台)」(以下「憲法改正大綱」という)を発表しました。なんのために、どういう内容の「改正」をするのかについて、それまでに自民党がまとめて発表していたのは、「論点整理」です(これにもとづいて国民PR用にまとめたものが「憲法改正のポイント−憲法改正にむけての主な論点」)。私は本文では主に「論点整理」を対象とし、そこでの曖昧になっているところについては、その言わんとするところを推測もして、自民党の改憲案の内容を解明し、批判してきました。今回の「憲法改正大綱」は、「論点整理」ではまだ曖昧であったこと、検討課題としか書いていなかったこと、さらには空白にしていたところを踏みこんで明白にしています。後に□2で述べるように、この案は、「白紙撤回」の形になりました。しかし、自民党は、小泉首相を本部長とする憲法改正推進本部をつくって、改正にとりくむ体制を強化するとともに、今回の「憲法改正大綱」を改憲案の素材とするとしています。経過から明らかなように、「憲法改正大綱」は、自民党の改憲策動を進める先頭に立ち、主力である議員らの「本音」を鮮明にしたものと言えます。 ですから、今日の時点では、私たちはこの「憲法改正大綱」を重要なターゲットにして、自民党の改憲内容の正体を徹底的に批判することが必要であり、有益だと考えます。この点については□1で解明します。さらには、今回の「白紙撤回」をどうみるか、つまり、自民党改憲作業のつまずきなのか、それとも、改憲体制の強化になったのかについても、正確につかんでおく必要があると考えるので、この点は2で述べることにします。 1〈「憲法改正大綱」はなにを明らかにしたか−その内容〉 「憲法改正大綱」は自民党の改憲の狙いと内容をいっそう鮮明なものにしました。その内容の一つひとつを逐条的に解説する紙数はないので、特徴点を列記することにします。 (1) 「国柄」(「新たな国家像」)を定める 「憲法改正大綱」はその冒頭の「はじめに基本的考え方」で、現憲法の基本原理を「極端な利己主義、偏狭な利己主義というように誤解するなどさまざまな歪みが露呈してきている」ので、「これからの我が国の進むべき方向性を示した新たな国家像」を、新たな憲法に「盛り込む」としています。 「憲法改正大綱」には読売新聞の発表記事では項目だけで「略」となっているところや書かれていない重要な注記があります。そうしたもののなかに、「本憲法草案の第一のポイントは我が国の『国柄』を体現した憲法でなければならない」という記載があります。つまり、「新たな国家像」をきめることが改憲の第1目的だというわけです。ではどんな国家像なのでしょうか。それは彼らの言う「国柄」を見ればよく分かります。 (2) どんな「国柄」か?−復古主義的な色彩 では、「国柄」とはなにか?すでに「論点整理」はこの点について「新憲法は……現憲法の制定時に占領政策を優先した結果、置き去りにされた歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値(すなわち『国柄』)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識に基づいたものでなければならない」としていました。ここでの歴史、伝統、文化、道徳の内容は、明らかにアジア侵略や治安維持法弾圧の歴史などは無視したものです。つまり、「新しい歴史教科書」や「心のノート」が強調しているものと、本質的に同一のものです。「憲法改正大綱」は「論点整理」と同様に、わが国固有の「歴史」「伝統」「文化」を尊重する−尊重することを「国民の憲法擁護責務」の内容とする−としていると思われます。教育についても、第3章第4節の1で、教育の「基本的理念」として、「郷土愛と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を涵養する」としています。「愛国心」教育であり、しかも「国際社会の平和と発展に寄与する態度のかん養」というのは、自衛隊の任務に国際貢献(武力の行使を伴う)をあげているのと対応するものです。つまりはイラク戦争のような戦争に「寄与する態度」を持つように教育するのが「基本理念」なのです。 天皇については「日本国の元首で、日本国の歴史、伝統及び文化、国民統合の象徴として、我が国の平和と繁栄及び国民の統合を願う存在」(第2条の2)と「祭り上げ」られているのが改憲憲法の「国柄」の内容になっています。ここでも、侵略戦争の反省などは1つもありません。「昭和天皇」の戦争責任など完全に黙殺して天皇が「歴史の象徴」とされるわけです。「日本国の歴史・伝統及び文化」について、国民一人一人の多様な価値観を認める立場とはかけ離れています。つまり、「国定」の歴史、伝統、文化を国民はみな尊重するということが義務づけられる憲法にするということです。 こうした改憲内容を見れば、自民党改憲の中身は復古主義的な色合いがつよいものがあります。しかし、これは単なる復古主義ではありません。以下述べるように、「国柄」は多面的、複合的なのです。 (3) 「戦争をする国柄」−「国柄」の@ 復古主義的な「国柄」であるとともに、「憲法改正大綱」は、今日のアメリカの一国主義先制攻撃態勢に即応した、その意味では「21世紀のアメリカ一国大国主義のもとでの『戦争をする国』」にすることが改憲の重要な目的であることを鮮明にしています。「憲法改正大綱」は、憲法9条擁護の多数派国民の目を少しでもくもらすために、9条1項はそのままにすると言います。 しかし、別に「国家緊急事態及び自衛軍」という第8章をもうけ、その第2節で、@「個別的自衛権」、A「集団的自衛権」、B我が国の防衛だけではなく「国際貢献のための活動(武力行使を伴う活動を含む)を明記しました。その上で、同節で「軍事規制維持のための組織等」(第 節)として軍事裁判所の設置をきめています。なお、第1節では、国家緊急事態(防衛緊急事態やテロなどでの治安緊急事態など)の場合に、首相の権限で「基本的な権利・自由の制限」ができる規定(国家緊急事態宣言規定)を新設するとしています。 「戦争をする国」にするためのもう一つの重要な仕組みが第3章の「基本的な権利・自由及び責務」のところにさりげなく書きこまれています。それはその第3節の国民に「国防の責務」を課すという規定です。これらの「戦争をする国」にするための諸規定が自由と人権を道連れにし、全面的な人権侵害を引きおこすものであることはすでに本文〈パート3〉の〈改憲国家の国柄A−高度治安国家〉でくわしく解明したとおりです。 以上、個条書き的に列記しただけでも、自民党の改憲内容がこの国を「戦争をする国」にし、自衛隊はもとより、国民を戦争にまきこむものであること、そして、その戦争とは、戦前、我が国が行った戦争と違って、超大国アメリカの世界戦略を従属したパートナーとして担うものであること、つまり国際貢献を「錦の御旗」として、あるいは「テロ防止」を口実としてアメリカの大義なき戦争に参加する−その意味での「新しい戦争」−のための改憲であることは明白です。 (4) 「弱肉強食」の「国柄」−「国柄」のA 「憲法改正大綱」は、すでに、本文で述べたように、新自由主義路線での「弱肉強食」国家をつくるための規定を設けています。 ひとつには、憲法改正大綱の第3章の第4節で、「社会目的(プログラム規定)としての権利及び責務」という規定です。これは、生存権の保障を国の法的義務ではなく、「プログラム規定」に憲法上「格下げ」することです。社会保障をめぐって、生存権(憲法25条)を掲げての裁判の多くは「プログラム規定なのだから」という理由で敗訴させられることになるでしょう。 もうひとつには、国家の国民に対する義務である社会保障について、国民に対して「社会保障その他の社会責任を負担する責務」を定めるとすることです。社会保障についての憲法の基本的立場の逆転であり、「自己責任」を強調し、社会保障費をより重く国民に負担させることを憲法によって裏付けようとするものです。 さらに、「公共」に対する責任の強調も同じ流れのものです。 (5) 統治機構の強化と国民の政治参加排除する「国柄」−「国柄」のB 「戦争をする国」「弱肉強食の国」にして、国民の自由や権利、生活を破壊することは、避け難く、支配層と国民との矛盾を深めます。この矛盾を押さえ込むために、「高度治安・管理国家」が予定されていることはすでに本文で述べたとおりです。なお、高度治安国家は、より直接的には「戦争をする国」に連動するものですが、同時に弱肉強食の国」にすることによる社会矛盾の強まり、そこから生ずる「治安問題」の解決のためでもあることを見ておく必要があります。ここで大事なことは、「新しい」国家体制は、狭義の治安体制の強化だけではないと言うことです。主権者国民の政治参加、別の言い方をすれば国と自治体の政治を国民(住民)が自分の手できめていく道をできるだけ狭くし、国民を排除する。そして、内閣の力を強くして、迅速に思いどおりの政治を行うように「統治機構」を強化する。そうした「国柄」にするのが改憲の重要なねらいの一つです。 「憲法改正大綱」で明らかになったこの仕組みを以下、紙数の関係上、全くの個条書きで述べます。 @ 衆議院は国民の意見を歪曲する小選挙区比例代表併用制とする(小選挙区制を憲法で固定化する) A 国会審議での審議で3分の1の出席という憲法の定足数(56条第1項)を廃止する(「答弁者1人、質問者1人でも審議できるようにする」と*注記で説明している) B 参議院議員の直接選挙は廃止し、定員の半数は道州制議会での選挙(間接選挙)、半数は推薦によるものとする。推薦は「法律の定めるところ」による。(*注記によれば「元最高裁長官、元衆参議長、元総理大臣らが望ましい」という) 衆、参両院の議決が違ったときは、衆議院が過半数で再議決すれば法案は成立する。 C 地方自治を形骸化する。道州制にし、その「首長」と議会は直接選挙によるが(県はなくし)、市町村は残す。「市町村(及びその下の自治体)の機関」は(道州の)基本条例で定める。 憲法上は市町村の「首長」を道州の首長の任命とすること、さらには、市町村議会をなくすことも可能になります。これは「地方自治体の長」「議会の議員」は住民の直接選挙にするという憲法94条の全面変更です。実際に市、町、村の「首長」や議員(議会)をどうするのか、憲法改正大綱ではまだわかりませんが、憲法上の地方自治体ではなくなるのですから、市、町、村各首長が選挙でなく、道州による任命制となる危険、これら市、町、村の議会が、直接選挙で選ばれた議員によって構成されることはなくなるという危険があります。道州が条例で決めればいいのです。いずれにしても、住民が自治体の主人公として住民自治で地方政治に参加する道は狭められることになるのは必至でしょう。各市町村から住民本位の政治をつくりあげていくということは、きわめて困難になってしまいます。 D 政党法の制定による結社の自由、主権者の政治参加の侵害 政党については法律で定めるとする。 「憲法改正大綱」ははっきり、「政党は法律で定める」としています。つまり、政党法制定を憲法条項としたわけです。 政党法の制定が結社の自由を侵害し、支配層の意に反する政党の抑圧になること、そして、それは、自ら政党に参加し、あるいは支持することによって、国民が政治に参加することを根底から崩すという重大な問題を持っていることは、すでに本文〈パート□3〉の〈改憲国家の「国柄C」−統治体制の強化と国民の排除、そして「心の支配」〉でくわしく述べたとおりです。 E 人権を擁護する司法制度の弱体化 「憲法改正大綱」は第5章「統治の基本機構」の第5節に、第4節の司法裁判所と別個に憲法裁判所の規定をおいています。憲法裁判所の裁判官は、内閣、衆参両院、最高裁などの推薦で任命されます。 憲法裁判所は、一切の法律、条例、命令、規則、処分が憲法に適合するかどうかを決定する権限を独占します。一般の裁判所で法律等が違憲だとして国民が争ったとき、裁判官が「違憲だ」と思っても、そうは判決できず、裁判を中止して、事件を憲法裁判所に移送し、その判決に従わなければなりません。例えば、公選法戸別訪問罪、国家公務員法・人事院規則の政治活動の規制違反罪などの事件、ビラ配布弾圧の憲法21条(表現の自由)違反事件などで、一般裁判所の裁判官は「違憲無罪」と考えても、自分の判断でそうした判決はできません。裁判をストップして、憲法裁判所に事件を移送し、憲法裁判所の判断に従わねばならないのです。国民が開かれた法廷で多数傍聴し、被告人弁護人が憲法を掲げて検察官、場合によっては裁判官と論戦し、裁判官の良心をゆり動かして、違憲判決を勝ちとることはいま以上に困難になると見なければなりません。 憲法裁判所ができれば、違憲判決が早期に手に入り、政府や検察などの違憲行為をあらためさせ、今よりも人権を守ることができると思うのは事実に合いません。むしろ、新設される憲法裁判所は一審、二審の裁判官による人権を救済するための違憲判決を阻止し、逆に改憲憲法による国民の責務を憲法の名によって合法化する改憲国家の「統治機構」としての裁判所になる危険が大きいとみなければなりません。 なお、政府は、抽象的憲法裁判求める権利を持ち、例えば政府にとって、違憲と思われる条例が住民の直接要求などでつくられた時に、憲法裁判所に提訴し、違憲判決をとって、条例を無効にするということも可能になります。 (6) 時の多数党の力での改憲を容易にする 「憲法改正大綱」は第9章で憲法改正をその時の多数党の力でやりやすくしています。「改正」手続を二種類つくります。ひとつは、衆参両院の過半数の発議をし、国民投票にかけ、その過半数で改正するというものです。現行憲法の2/3発議要件の大幅な緩和です。 もうひとつは、衆参両院の2/3の多数決で決め、この場合は国民投票は不要というものです。但し、第1章(総則)、第2章(天皇制)、第3章(基本的な権利、自由及び責務)、第4章(平和及び国際協調)の改正は前者の方法によらなければならないとします。 いずれも、その時は多数党派が憲法をより簡単に変えられるようにするというもので、現憲法のつよい立憲主義の否定です。特に後者は、国民投票を不要とするものですからさらに重大です。第8章の「国家緊急事態及び自衛軍」規定は、衆参両院の2/3でいつでも改正できるのです。 (7) 「新しい人権」条項などを改憲の口実にする 「憲法改正大綱」は、第3章「基本的な権利・自由及び責務」の第2節の2で、プライバシー権、肖像権、犯罪被害者の権利など「新しい人権」を数々に規定しています。いずれも、9条改憲反対の多数派国民を「それだけではなく(それよりも)こんな素晴らしい新しい人権を国民の幸せのために盛りこむための改憲ですよ」といって、改憲多数派をつくるためのものです。第2章の「象徴天皇制」の2「皇位の継承」の項で「女性天皇」を認めるとしているのも、同じ狙いです。しかし、これらはどれもこれも、法律を改正するか、新設すれば足りるのです。「新しい人権」は憲法13条の幸福追求権はじめ、憲法の諸人権の保障に含まれているし、いずれにしても、立法によって保障することが100%可能です。「女性天皇」も現行皇室典範を変えれば問題なくできます。環境を汚したのは大企業で、これを批判して来なかったのは政府と政権与党でしょう。プライバシーを侵害する盗聴法をつくったのもそうです。法律にも反して、緒方宅盗聴を行ったのは警備公安警察で、これを不起訴にしたのは検察です。 つけ加えれば、宮本宅(当時、日本共産党書記長)の電話盗聴は創価学会と公明党首脳の犯罪です。 こうした悪事には口をつぐみ、政権政党として、いつでも出来たし、今も出来る立法や法改正をしないでおいて、「新しい人権」や「女性天皇」を憲法改正の口実にするのは、全くのだましのテクニックと言わなければなりません。 なお、「徴兵制はとらない」とするのも、9条改憲反対での国民の結集を回避するための手段です。現在予定されている戦争は大量の軍隊(とくに陸上兵力の動員)ではないし、まだ、国民の「思想動員」ができていないなかで、徴兵制にするのはかえって使いづらいのです。なお、将来、必要になれば(6)の簡単になった憲法「改正」手続で改憲すればいいと考えているのではないでしょうか。 (8) 立憲主義と憲法13条の否定−原理転換 「憲法改正大綱」は、すでに述べたように「基本的な考え方」で「個人の尊厳」を「究極・至高の価値」とする現憲法を、「極端な利己主義」の「歪みを生んだもの」と位置づけています。個人の尊重と幸福の追求を憲法の中心的理念としている、憲法原理を否定します。そして返す刃で「公共の責務」を国に対する責任から、家庭・家族に対する責務として強調し、その上、「愛国心」「国防の責務」「社会保障負担の責務」を国民に課しているのです。 これはすでに本文で述べたように、立憲主義の否定です。国民の自由と権利を保障し、国はけっして侵害しないことを約束し、人間らしく生きるための社会保障の充実を国民に約束した憲法から、改憲勢力の望む「国柄」を国民に押しつけ、国民に義務を課し、国民を縛る憲法へという憲法の根本原理の逆立ち転換を「憲法改正大綱」は鮮明にしているのです。 2〈「白紙撤回」とその後をどう見るか−執拗な改憲意思と体制強化〉 「憲法改正大綱」は、短期間で「白紙撤回」になりました。ひとつには、この案が明らかにした自民党改憲案の全貌が、様々な弁解や、美辞麗句にもかかわらず、「本音」を露呈し、復古主義的内容をさらけだしていたため、評判が悪すぎたからです。しかも、「戦争をする国」にするための前掲八章の規定を作るために、自衛隊の現職幹部に案をつくらせ、ほぼそれに基づいて「憲法改正大綱」の該当部分がつくられたことが明らかになり、世論の批判が集中したことも「痛手」になりました。より決定的だったのは、自民党党内からも、参議院制度の全面否定に対して、参議院議員らを中心に、怒りの声があがり、このままでは自民党参議院議員の多くから総スカンになる状況になったことです。さらにつけ加えれば、民主党の枝野幸男議員(党憲法調査会長)からも「(こんな案で)自民党は本気で憲法改正する気なのか」という批判を浴び、この案のままでは、民主党を取り込むことが難しいことがはっきりしたことも響いていると思われます。 この結果、「白紙撤回」になったのですが、しかし、これを機に、自民党は党内に憲法改正推進本部を本部長小泉総裁(首長)、本部長代行、武部幹事長、事務局長保岡興治議員という同党中枢部で構成する強力な機構をつくりました。 「憲法改正大綱」発表後の一見すればドタバタ劇は、自民党改憲案のもつ弱点、彼らの改憲策動のもつ矛盾があらわれています。だが、@これを契機に、自民党の改憲のための布陣が強化されたこと、A民主党枝野議員が反発する一方で、「改正に必要なところから(民主党との)合意をとっていこうと(自民党が)思った瞬間にすべての改憲へのシナリオがはいります」と改憲共同作業を呼びかけていること、そしてB小泉首相が民主党案を参考にしてつくることを公言していることを見れば、改憲策動がつまづいたとみるわけにはいかないと私は考えます。 さらに、小泉本部長という布陣の持つ重大性を痛感します。憲法99条は、国務大臣らに憲法擁護義務を明記しています。小泉首相は、首相として、もっとも重い憲法擁護義務を持っているのです。それなのに、現憲法の3原則(あるいは5原則)のすべてを侵害し、憲法原理を逆立ちさせるための改憲策動組織のトップに小泉首相が座るというのは、決定的違憲行為です。涜職という言葉がありますが、小泉首相は戦後総理の誰一人もやらなかった明白かつ重大な涜職行為を犯しているといわなければなりません。 小泉首相(総裁)本部長の代行は、働かない若者はサマワで自衛隊と一緒に行動させたらいいと放言している武部幹事長、起草委員長は「神の国」発言の森喜朗元首相、事務局長は「憲法改正大綱」をまとめた保岡興治議員です。「並々ならぬ布陣」と見るべきでしょう。 今回の「憲法改正大綱」発表のドタバタ劇は、自民党の改憲策動がなりふりかまわぬ異常な状況に立ちいたっていることを証明しています。だが、同時に、それは彼らの改憲策動がその内容とともに、やり方においてもまったく大義のないものであることも明らかにしました。なりふりかまわぬ首相をトップとする、改憲策動の進行を許すわけにはいきません。「憲法改正大綱」と、これをなお素材として、小泉首相らが先頭になって、改憲を強行しようとする暴挙に対して、徹底的な批判をしなければならないとつよく思うものです。 |