イラク派兵違憲4.17名古屋高裁判決の意義

2008.05.27 於:全労連会館 小林武(愛知大学教授)

はじめに

 今回、私としては重点を名古屋高裁判決ということに置いてお話をさせていただきたいと思います。名古屋高裁判決からちょうど40日経っているわけですけれども、当事者に準ずる立場からこの判決の持っているいわば感動のようなところを共感、共有するところからお話を始めたいと思うんです。

 私はもちろん原告側の証言、それからいわゆる鑑定意見書の提出という形で関わっておりました。それで判決当日の法廷にいたわけです。ちょうど名古屋は当日大雨でして、みんな傘をさしながら入廷前にちょっとした集会をして入っていったんです。

 最初、原告といっても控訴審ですから、控訴人という形になるわけですが、控訴人の請求を棄却するというところから始まるわけです。そして、主文を読んでいく。法廷外の集会で「そうか」というようなことを思っても、どういうことがあっても、野次は飛ばさないようにと弁護団からお話を受けておりましたから、野次は出なかったわけですけれど。ずっと裁判長の朗読が進んでいくと、なんと「イラク派兵は憲法9条に違反する」というふうに言い切るわけです。本当にそうだろうか、というような思いがありまして、ずっと聞いていると、その言葉が大変明晰な論理の中で、揺るぎのない形で伝わってくるわけですね。

 そしてまた、平和的生存権の段落になりますと、この諸々の権利の中の基底的権利であって、裁判を請求する基礎となり得る具体的な権利を持っているというふうにまで言い切るわけです。裁判官の言っていることが、「そうか、それは幻ではなかったんだ」という思いが、確信が伝わってまいりますと、満場が感動に包まれまして、みんな声は出さないんですけれども、嗚咽が起こって、拍手はしないのですけれど、感動が満場を包みました。判決文が言い終わりますと、それこそ拍手、そして抱擁、また握手ということをみんな繰り返してやったわけです。僕も親しい弁護士さんと抱擁していました。大変な喜びのなかでこの判決は推移いたしたわけであります。

 新聞には「このイラク派兵は憲法違反・全面勝訴判決」と載りましたですね。その写真に、「あの垂れ幕を用意していたんじゃないか」と言われるかもしれませんが、あれは用意していた6枚のうちの2つを選んだんです、その意味では考えられる最良の結果ということであったわけです。

 ①5月2日零時 憲法施行後、初の9条違憲判決が確定

 5月2日の0時で判決が確定しました。つまり上告の期限ということがありまして、国側は「控訴を棄却する」ですから、国にとっては勝訴です。ですから、上訴、最高裁判所へ持っていくことができない。かたや控訴人、原告側は実質勝っておりますから上告しないということで、判決が確定することになった。

 ただ、ウルトラCといいますか、国側は、超法規的に何らかの方法を、例えば国益論などを超法規的に出してきて、上告という形になるかも知れないと、われわれのところの弁護団の方々は心配いたしました。私などはぼんやりとしか心配しなかったんですけど、弁護団の何人かの方が裁判所に出張りまして、そして午前0時を迎えたという。警戒しながら、午前0時を迎えたところで乾杯をしたというようなことも知らされました。さすがに弁護士の方々の実践的な警戒といいますか、それは大変鋭いものだなと思いました。

 ②憲法裁判史に黄金の釘を一つ打った

 いずれにせよこの判決の確定はしました。自衛隊関係裁判において、自衛隊の活動が9条に違反しているという、この9条違憲判決の確定は、憲法施行後始まって以来最初のものであります。大変な意義を持っているだろうと思います。ご承知の通り、下級審と言えども、違憲審査権をどの裁判所も持っているわけでありまして、その判断が確定したことの意義は行政権との関係においても決定的に大きいと言われている。

 違憲判決確定のあたかも翌3日が憲法記念日でした。まさしくこれは憲法への民衆からの最高の誕生祝いということになって、各地の5・3の集いでは例外なくこれにふれられていたのではないかなと思います。私はたまたま熊本でお話をしたんですけれども、その熊本の集会も感動に包まれまして、本当に響き合っていたといいますか、そういうものでありました。私は、一人の憲法の研究者として、こういう立場で研究をしていて良かったと思った次第であります。皆さんそれぞれのところで、感動ややりがい、ないしは強く生きがいというものをこの判決を通して持たれたという方がたくさんおられるだろうと思います。私の言い方ですけれども、これはさぞかし「憲法裁判史に黄金の釘を一つ打った」。そういう事業でありまして、画期的、歴史的という意義を持っているんじゃないかと思う。私が画期的というのは、今の時点での予想ないし、測定などを超えた大きな力を持っているんじゃないか。歴史的意義というのは、これからいろんなところで「あ、そうだったのか」というような、そうした形でわれわれは知ることになるんじゃないのかなと思っております。

 ③判決が政府に義務づけたもの

 イラク派兵についての違憲判決の確定でありますから、派兵即時撤退ということが政府に求められているわけであります。同様に、イラク派兵以上に武力の行使に結びつく派兵恒久法の立法案というものは、その作業を即時取りやめることが政府に義務づけられていることになるだろうと思います。ただ、私が思うに政府、この場合は権力担当者の側はこの判決でいわば改憲の情動といいますか、情念ですね、そちらのほうの改憲情動を高ぶらせているのではないのか。憲法を改悪しないことには致し方ないという、そうしたものがあるということも、その面もつかんでおかなければならないのではないのかという気がいたしております。

 

Ⅰ イラク派兵違憲判断の中心点

 ①空自による米軍輸送は、政府解釈によっても違法・違憲

 さて、本論ですけれども、第一の判決のポイント、中心点は3つあると思います。一つはイラク派兵は違憲である。丁寧に言いますと、空自によるバグダッドへの米軍を中心とした多国籍軍の輸送は違憲であると。しかもその違憲は政府解釈とイラク特措法を前提としても違憲だという言い方です。

 イラク特措法は憲法に基づいて作られているということを、この裁判所は前提にしております。そのイラク特措法に照らして、戦闘地域と言わざるを得ないバグダッド空港への空輸、これはイラク特措法に違反していると。また、そこへの輸送、これはそれ自体が武力行使ではないとしても、武力行使と一体をなしているということにおいて、それ自体も武力行使であると。したがって、イラク特措法に違反していると。イラク特措法に違反しているということは、それは憲法9条1項の武力行使に当たるものとして違憲であるという論理を採っているわけです。

 ただ、この判決の大事な部分というのは全部大事なんですが、全文を私たちは咀嚼をすべきだと思います。その中の中心点の最後のところに「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と…。政府は「含んでいる」と、「つまり一部分の違憲だ」ということを言いました。いくつかのマスコミもこの「含んでいる」ところに力点を置いていましたが、でも憲法に違反する、あるいは憲法でなくても法律に違反するというのは、すべて「含んでいる」ということです。あるところが憲法に違反するということであって、これはそれが違反するということであります。

 ②平和的生存権は、基底的権利として、裁判規範性をもつ

 二つ目は、平和的生存権は基底的権利として裁判規範性を持つ。これも非常に重要な、第一点目と並べて甲乙付けがたいほど憲法論的には重要な意味を持った判断だと思います。平和的生存権は、ご承知の通り、憲法前文で「全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。

 この憲法前文の権利でありますが、「権利」と憲法自身が書いているにも関わらず、これまでの裁判所は例外もありますが、ほとんど「それは権利といっても抽象的な権利であって、具体性を持たない」と。具体性を持たないということは、それを根拠にして人々は裁判を起こすことができないという、裁判規範とはなり得ないという理解をほぼ一貫して採っておりました。

 それをここでは見事に、まずもってこの平和と人権は一体のもので、平和なくしては人権なしという認識を基礎にした上で、日本国憲法が定めている平和的生存権というのは、これは各人権の基底的な権利だと書いてあるわけであります。

 「憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担、協力を強制されるような場合…」。イラク訴訟の場合には、「そうだ」と原告は主張していたわけでありますけれども、そういう場合には「平和的生存権の主として自由権的対応の現れとして、裁判所に対し当該違憲行為の…」、次ですけれども、「差し止め請求権や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合がある」と。「その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある」と。ここでも、「場合がある」とか、「その限りでは」とか、言っております。これは法律論としての論理運びはこうなってくることでありまして、結局それは平和的生存権に具体的権利性があるということであります。

 「救済を求める」というその言葉は、「裁判所に対してその保護・救済を求める強制的救済措置の発動を請求できる」という非常に明瞭で強い表現がとられております。これは私たちがこれから先、違憲の軍事的な行為に対して、さまざまな形で訴訟を通してそれを追及し、われわれの権利の保護・救済を求めることができるという非常に大きな市民の運動にこの権利・救済の地平を開いたといいますか、そういうものだという気がいたします。

 ③控訴人の被った精神的苦痛は平和的生存権の具体的侵害に近い

 三つ目にもう一点指摘をしておきたいことは、これはあるいは注目されていない部分かもわかりませんけれども、「そこ(=控訴人らの請求)に込められている切実な思いには、平和憲法下の日本国民として共感すべき部分が多く含まれているということができ、決して、間接民主制下における政治的敗者の個人的憤慨、不快感又は挫折感にすぎないなどと評価されるべきものではない」と言っております。

 間接民主制で勝敗が決まったのだと、つまり多数決で法律は決まるし、イラク派兵もそこで決まっているのだと。そこで負けた人たちの不快感の表明、嘆きの現れにすぎないという言い方は、実はこのイラク訴訟の各地の判決の若干のものが採っていた立場なんです。今日は山梨の方もおられるかもしれませんが、甲府地方裁判所は早くからこういう判断を採っておりまして、私たち憤慨しておったんですけれども、名古屋高裁はそのことをとてもきちんと念頭に置いて、特定の名前を挙げずにではありますけれども、こういう論理を採っています。

 したがって、私はここでの判決というのは、結論として控訴人の訴えをしりぞけてはおりますけれども、「精神的苦痛は平和的生存権の具体的侵害に近い」と、そういう実態を持っていると、具体的侵害とは言い切れないから、控訴はしりぞけたんだけれども、こうした論理、こうした理解をしたのではないのかと思います。

 こういう判断は長沼訴訟の福島判決以来であります。この判決を機会に私は実はその前の恵庭判決も取り出して、流れを押さえておくことが必要じゃないかと思っているんです。

 恵庭事件の判決は、ここで訴えられた2人の青年を無罪といたしまして、自衛隊法に違反していない、構成要件に該当しないと無罪といたしました。しかしながら、それがゆえに憲法判断には入らないという判断でありました。しかしそれはいわば憲法9条というものを保存した。憲法9条に自衛隊等が違反しないかどうかの判断は後に預けたと、そういうものだったと思うんです。だから、この評価は難しいですけれども、その流れから今見ておいて、そして長沼訴訟以来35年ぶりの判決ということになります。

 この間、海外派兵は常態化いたしましたし、いわば軍国主義化が進行しておりますし、また裁判所はそれに立ち向かう判断というものをしない状態が定着しております。判決はそれに対する大きな、異議申し立てをしていると思います。

 

Ⅱ 違憲判決を非難する政府の暴論

 この判決に対する政府の対応はどうだったのかということであります。何よりも政府はこの判決がイラク派兵を憲法違反だとしたことそれ自体に正面から批判、反論し得ていない。つまり別の言い方をすれば、いわば手続的論点なり、「傍論」中の違憲判断だから行政府は拘束されないとか、あるいは政府が上告する利益を失っていることは、これは問題だとかというふうな手続的論点に非難を集中しているということが、大変特徴的じゃないかと思うんです。

 それは、この名古屋高裁判決が憲法9条に関する政府解釈と、それに基づいて作られたイラク特措法を前提にしているわけです。長沼訴訟の場合には言うまでもなく、自衛隊の存在それ自体、つまり自衛隊法や防衛庁設置法、こういうものの違憲を言うわけでありますけれども、ここではそうじゃなくて、憲法解釈を政府の言い分を前提にしています。そうでありますから、非常に安定した堅固な違憲判決の論理になっております。

 どちらがいいかという問題ではありませんが、この時代の推移、今日において名古屋高裁がこういう判断の方法を採っている。だから、政府もこれに対しては反論できないだろうと思います。もし上告を政府が言うようにできたとしても、反論できなかったんじゃないか。もっぱら集中したのは手続であります。

 ①「傍論」中の違憲判決には拘束力がないという論理

 1つは傍論中の違憲判決には拘束力がないという論理であります。首相が脇の論と言うとか、あるいは「そんなの関係ねえ」という航空幕僚長の発言があるとか、そうしたことも含めますけれども。一番といいますか、検討に値する論理はせいぜい外務大臣の「この判決の行政府に優越するのは、主文と主文を導き出すのに必要な部分だ」という、こういう言い方じゃないかと思います。これも実は成り立たないわけであります。この辺りは判例方式、つまりイギリスやアメリカで採られている判決理由と傍論を区別する、そういう論理をなにがしか下敷きにしているんじゃないかと思いますが、わが国は判例方式の国ではないわけですね。

 わが国の違憲審査の判決で重要なのはこの2つの区分ではなくて、事案の真の解決のためになされた判断部分、ここが重要であります。主文と直接関係がないとされる部分であっても、この事案が重大であり、またここで争われている権利の性質や形が優越をした、また重要なものである。そしてここで判断をしておかなければ、事案というものが根本的な、究極的な解決を見ないという場合に、たとえ主文と直接結びつかない論理でありましても、裁判所はそれについても憲法判断をすることができる。このように考えるべきであります。学会ではだいたいそのように考えております。

 イラク訴訟で、何よりも事案の真の解決のために必要な判断というのは言うまでもなく、9条と平和的生存権に関する判断であります。これが決定的重要性を持つわけであります。そして、これが高裁のような下級審でありますけれども、確定したわけでありますので、これは当然ながら行政府は拘束されるということになると思います。

 ②国側に上告の機会を与えよとの主張

 ところで、「国側に上告の機会を与えよ」という主張があるわけですが、先ほど言いましたような論理で、勝訴した国は上告できない。かたや控訴人側は実質勝訴でありますから上告しないと、ここで確定をするわけです。国側は切歯扼腕(せっしやくわん)の体であります。私はつくづく思いますけれど、そうであるならば、この訴訟は4年以上にわたったわけですけれども、地裁、高裁の段階で何が故に国側は9条を合憲である、イラクへの派兵は9条に違反しないという主張を何が故にしなかったのか。一度もしていないわけです。

 私が名古屋高裁で証言したときも、裁判長は国側代理人に対して、「反対尋問はありませんか」と促しても、「ありません」ということで。呆気にとられるような、そういうことがずっと続いていたわけですね。今となってはまさにとても勝手な言い方だろうと思います。

 思うにこの恵庭判決の場合、逆に被告人は無罪となったわけであります。2人の青年は無罪となったわけですから控訴できないわけです。控訴して自衛隊の憲法違反を主張したかったけれども、主張ができない。検察側は無罪判決ですから、実際敗訴しておりますけれども、控訴しないと。こういう場面に立ち至って小躍りしていたということですね。ちょうどそれを裏返した場面が今回登場して、それに立ち入ると国側は「上告の機会を与えよ」と言う。これは誠に身勝手な議論ではないのか。「ご都合主義」と思う次第であります。

 ③違憲審査の権限を最高裁に集中せよ

 さらには、「違憲審査の権限が下級審にあるのはけしからんと」いうふうな、つまり「最高裁に集中させよ」という議論まである。これは法のみならず、憲法改正のテーマになってきますけれども、そういうことまで政府側から出ている。

 

Ⅲ 政府が本来なすべきこと

 政府が本来なすべきことは、今あげたような成り立たない手続的反論ではなくて、次の2つを成すべきであろうと思います。1つは航空自衛隊をイラクから即時撤退させることであります。2つは判決を誠実に受け止めて、政策を見直す姿勢を示すことだと思います。つまり仮に即時まで至らなくても、判決というものを誠実に受け止める。そして、それに基づいてイラクへの派遣が憲法上許されないものだという司法判断が示された以上、それに即して政策を考えるという姿勢を示すということが少なくとも求められると思うんです。

 ①違憲審査制への理解不足

 一つは、違憲審査制の理解です。違憲審査制というのは、いかに行政府、さらには法令権でありますと立法府ということになりますが、行政府や立法府の意に反する結果が出たとしても、国家の、つまり統治構造のなかの最終的な憲法判断をするのは裁判所であるという司法国家の論理を前提にしておりますから、判決がどうであれ、いかに切歯扼腕するところであったとしても、まずこれを受け止めなければならない。この理解ですね。違憲審査制というものに対する理解がないということですね。

 ②憲法の尊重擁護義務の認識の貧困

 それからもう1つは、憲法の尊重擁護義務が99条に置かれているわけでありますが、この義務というのはかなり一般的な義務だと私は思いますけれども。しかし、わきまえとして憲法への誠実を99条が求めておるわけでありまして、憲法への誠実というのはそういう仕組みです。つまり司法判断がなされたということに対する行政府の対応ということを、これは誠実であるべしと求めているわけであります。こうしたことが今回全く見られないということは甚だ遺憾であるし、この政策の善し悪しを超えて非常に現在統治に当たっている人たちの認識の貧困というものを感じるわけであります。

 ③派兵恒久法の立法作業の中止

 もう1つは派兵恒久法の立法作業を中止するということであります。派兵恒久法、あるいは一般法。これがいわゆるテロ対策特措法の再延長と両方の可能性を持っているような形で今議論されておりますけれども、先ほど川村さんのご指摘にもありましたように、太い流れとしては派兵恒久法を自民、公明のみならず、民主党の政治的流れもそちらのほうへ行っているということだろうと思います。

 レジュメでは「法案」というふうに書きましたけれども、これはいわゆる石破試案のことでありまして、その法案を拝見しますと、法案3条1項、とくに3~5項と9項というのは、これは名古屋高裁判決に照らして、今日のイラク派兵よりもより明らかに違憲であると言わなければなりません。

 「赤旗」の5月24日・26日付を見ておりますと、これまで言われていた停戦監視、人道復興支援、後方支援に加えて、最近の自公の調整のなかでは警護活動、それから治安維持活動…。治安維持活動はこの法案の中には入っていないようですけれど。それから船舶検査活動、こうしたものを加える形でこの自公のプロジェクトチームで検討が進められている。それと併せて必要な武器使用権限を自衛隊に与えるということが検討されているということが出ております。名古屋高裁に照らしての違憲性というのはとても明瞭であろうと思うのです。だから、本当に司法判断を尊重するのであれば、派兵恒久法の立法作業を中止しなければならないと思う次第です。

 

Ⅳ 違憲判決の影響とこれをもたらしたもの

 ①憲法の生命力示した判決

 最後に、違憲判決の影響、そのもたらした要因は何かということです。ちょっとポイントだけを申し上げますが、この違憲判決は何よりも憲法の生命力を示したということであろうと思います。私が思うのですけれども、これは9条に関して、また前文の平和的生存権に関して、憲法の主旨・本旨は何かということを明らかにしたわけであります。しかし、こういう判決の影響は平和の問題だけではなくて、政治の全領域に関しまして、憲法による総点検を行わなければならない。もちろん主語は権力担当者であります。立法、行政、なかんずく行政権はこの憲法による総点検を行わなければならない。そして、政治を憲法の原点に引き戻すことに、この判決を生かさなければならないということ、これがこの判決の影響の第一点ではないかと思うんです。まず政治に対しての話です。

 ②司法の姿勢を正す警鐘

 2つ目は、司法に対して、あるいは司法との関係でありますけれども。司法はこれまでこういう問題、つまり自衛隊、安保の違憲かどうかという問題については、その憲法判断を避けるという傾向を明瞭に示してまいりました。最高裁がいわゆる統治行為論などを使って、その傾向をリードしてきたわけであります。しかし、そのような司法の姿勢を正す契機をこの判決は作ったと思うんです。

 名古屋高裁は3名の裁判官でありましたけれども、政治に右顧左眄(うこさべん)しない真っ直ぐな姿勢を貫きまして、政治に遠慮のない違憲審査権の行使をいたしました。私はこれはいろいろな意味で政治的でない判決だと思っております。いわば職業裁判官の法律的判断が真っ直ぐに通った、そういう判決であろうと私は思っております。だからこそ強い。政府もそこを批判できない。もっぱら訴訟的論点についての批判ということになっていたと思うのです。

 実は1959年の砂川事件の伊達判決に対して、マッカーサー駐日大使が干渉をし、そしてそれを日本側は藤山一郎外務大臣が…。まさに驚くのは加えて、最高裁長官である田中耕太郎氏がこれを唯々諾々と受容していたということが「赤旗」(4/30)で報道された。ですから、そこから思えば、この判決、名古屋高裁が真っ直ぐな姿勢を示しているということはとても重要であって、さっき5月2日のことを申しましたけれども、つまり超法規的ウルトラCを権力が行使するかもしれないと、弁護団が警戒したのもむべなるかなという気がするほど、これは驚くべき公文書公開の事実でありました。

 ③民衆が押し出した違憲判決

 国民との関係では、これから私たち国民の努力、大いにこれを励ましていくということになる。政治に対しても、司法に対しても、国民運動に対しても、誠に大きな影響を持っていると思います。これをもたらした要因というのは、何よりも人々の多年にわたる平和を求める努力。ここには憲法会議、九条の会、そして今日お集まりのさまざまな皆さんや団体などなどの非常に広い憲法運動の成果、これが背景にあるということは間違いないと思います。

 イラク派兵の訴訟自体は11地裁で提起されていて、その間のネットワークも大変しっかり親密な形でなされていたと思います。私などが見聞きする狭い範囲でも、原告が思想信仰を超えて、9条の一点で団結をしておりました。上告をしないという点でも、1,922人でしたか、控訴人、このうちの誰かがお一人でも上告すれば上告は成り立ってしまったわけです。しかし、どなたも上告はしないという団結ぶりでありました。

 弁護団の高い力量というものも日常的に拝見いたしました。学者の協力もありました。そして、裁判官に人を得たということは大きいだろうと思います。これがなければ、こういう判決は出てこない。裁判官に人を得て、民衆がまさにこの判決を押し出したという構図だろうと思います。この判決は1個の疑う余地もない金字塔でありまして、派兵恒久法阻止の新たな出発点になるものであろうと思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

 この論稿は、安保破棄中央実行委員会と憲法会議が呼びかけて5月27日に開らいた「自衛隊海外派兵と武力行使のための『恒久法』提出阻止をめざす各界懇談会」での講演を憲法改悪反対共同センター事務局の責任でまとめご本人の了解を得ています。